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金女子19 生きるのに覚悟がいるなんて・・・

かつての金曜日の女子たちは
元気に頑張っているだろうか?

現在
金曜日は、
別の学校の女子たちと過ごしている。

ざっくり言えば、
今の彼女たちも金女子なので(笑)

久々に
「金曜日の女子たちへ」を
再開(笑)

ちなみに
今の彼女たちは医療系の女子だ。

今日は授業で
『最高の人生の見つけ方』
というDVDを見て、

「生きる」とはどういうことだろうと
考えてみた。



父を
病院から連れて帰った方が
よかったのかもしれない・・・

などと、

自分のことを
振り返ったりもしながら
私も一緒に
DVDを見つつ、

「生きる」って・・・

とシミジミしてたら、

あの言葉が
頭に浮かんだ。

私が
ここのところはまっている
お気に入りの言葉(笑)

「Dasein(ダーザイン)の全体性は
「Sein zum Ende(ザイン ツーム エンデ)によって
構成される全体存在」である」
『ハイデガー入門』



人間はいつか死ぬ。

自分だっていつか死ぬ。

そんなこたぁ分かってる。

分かってるけど、
今じゃない。

まだ死なない(多分

すぐじゃない・・・

ってな感じで、

そのことを
意識してるかどうかは別として、

自分の死を
先送りにしながら

私たちは
生きてるのかもしれない。

そして・・・
気づいたら
最期の時が来る。

その時、

「わが人生に
一片の悔いなしっサラバじゃ」

なんて、

すがすがしく
満足して
人生を去れるだろうか

でも、
ちょと待ったっ!

生きるって・・・ソモソモ
満足した死を迎えるための活動なのだろうか?

だとすると、

私たちは
死ぬために生きてるってことになる。

満足した死を迎えることが
私が生きる目的というわけだ。

だけど・・・

私が満足した瞬間、
私はもうこの世にいない。

ってことは、

私がこの世にいる間は

私は「私の生」に満足することはないということになる。

「それがいいんだよ」
「それが人生ってもんだ」
という人もいるだろう。

だけど・・・

「死」はあまりに突然やってくる。

どこまで、
どれだけ、
どんな風に生きていたら
私たちは
その死を満足した死と呼ぶことができるのだろうか?

っていうか、

いつか突然やってくる
そんなふわっとした死が
満足した死かどうかって、
そんなに重要なことだろうか?

そして再び、

生きるって・・・ソモソモ
満足した死を迎えるための活動なのだろうか?

今ここに生きているこの私(Dasein)は

「Sein zum Ende(ザイン ツーム エンデ)によって
構成される全体存在」である」

というのはハイデガー(1889-1976)の言葉

「zum Ende」という
ドイツ語は
「終わりへ向かう」
ではなく
「終りに至っている」
と訳べきだ。

そうすると、

今ここに生きているこの私は、
「終りに至っている」存在である

ということになる。

ハテ?
どういうこと(笑)?

「歩くという行為は目的地に到達するために、
言い換えれば、
歩き終わるためになされる。
しかし(美しい)花を見ることは、
見ること以外に目的をもたない。
見ることがそのまま楽しむことであって、
見るという行為自身が目的である。
歩くことと異なり、
見ることは目的にすでに到達している。
・・・
「見ると同時に見てしまった」
・・・
エネルゲイアとは現在において
目的に到達していることを意味する。
・・・
生きることは
生きることの外にある目的へ向かう運動、
生き終わるための運動ではない。
生きることがエネルゲイアであるという考えは
とても魅力的だとは思わないだろうか」
『ハイデガー入門』

生きることは、

「生きると同時に生きてしまった」
という時間。

その都度の私の死。

いつか突然やってくる
ふわっとした死を気遣う必要なんかない。

今の自分の心の声に
真剣に耳を傾けながら、

「今」という
私の生を死ぬ。

そして
人生とは
その都度の私の死の積み重ね。

私は・・・

一日一日を
そんな覚悟をもって
生きてしまっているだろうか?


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ジャンル : 日記

金女子18 就職も恋愛も頑張れ~

この金曜日は
金曜日の女子たちの最後の授業だった。

最後というのは文字通り最後。
契約更新をしないってこと。

これから私の金女子の授業はなくなる

その最後の授業はサルトル(1905-1980)だった。

サルトルを選ぶのにはわけがある。
昨年もサルトルは扱った。
↑↑
人生は一か八かを参照下さい。

後期のこの時期、
就職の問題を抱える学生さんが多いからだ。

しかも、
全国的に超厳しい内定状況

そんな「状況」の中でも
自分を賭けていって欲しいという思いから、
サルトルを扱うのだ。



今回、時間の関係で
ざっくりとしかお話できなかったが、
サルトルは『存在と無』という本の中で
こう語る。

「人間は自由の刑に処せられているのだ」

私たちは自由であることから逃れられない。
だってほら、
授業でもやったけど、
「実存は本質に先立つ」ってヤツよ。
覚えてる?
私やあなたは、あらかじめこんな子だって決められてはいない。
私やあなたは、
たえず自分を選択し、自分になっていってる。
その選択がどでかいものであろうと
しょーもないものであろうと(笑)
そして選択しないという選択であろうと・・・

だけど、
全くのフリーで自由なわけではない。
私やあなたは、
この時代に生まれてきたくなかったぁぁ
と思ったとしても
生まれているわけだし・・・
あんなことするんじゃなかったぁぁ
と思ったとしても
もうやってしまったわけだし(笑)

私やあなたは、
自由から逃れられないその一方で、
「状況」からも逃れられないのだ。

で、
サルトルはこんな風に言う。

「抵抗する世界のなかに拘束されたものとしてしか
自由は存在しえず、
この拘束をよそにしては自由の観念は意味をうしなう」

つまり、
私やあなたの自由は、
私やあなたの「状況」の中にしか存在しないのだ。

金女子からこんな質問をいただいた。

金女子「でも強制収容所なんかには
自由はないんじゃない?」

あなたが強制収容所にいるのなら、
あなたの自由は強制収容所にしかないということだ。
あなたは強制収容所という「状況」の中で
自由なのだ。

金女子の
「えええっっ」って声が聞こえてきそうだ(笑)

たぶん「えええっっ」って叫んじゃう人は、
自由ってのを
アルプスの少女ハイジが気持ちよさそうにブランコに乗ってるとか
手足伸ばして干草のベッドにダイブするとか
そんなイメージで固めちゃってる気がする。

サルトルの言う自由とは
選択し行動すること。
自分の未来に自分を投げかけること。
(「投企」って授業でやったよね

強制収容所の中でどう生きるかを
自分で決めることができるのだ。

で、
さらにサルトルは次のように言う。

「自由の自由な出現のなか、
および自由の自由な出現によって初めて、
企てられた目的を実現不可能にするかもしれない抵抗を
世界が増大させたり、
明るみに出したりする。
人間はみずからの自由の場においてしか、
障害に出会いはしないのである」

強制収容所の話で続けてみると・・・

強制収容所を
自由がない「状況」にしているのは
他でもないあなたの自由なのだ。

つまりはこうだ。

あなたは強制収容所に入れられた。
あなたはハイジのようにユキちゃんと走り回りたい(笑)
とろっとろのチーズをパンにのせて食べたいっ
でも、ここではそれができない。

あなたが投げかけた自分の未来(ハイジのようになりたい)が
あなたの強制収容所の「状況」をつくったのだ。

金女子「え~~
じゃぁ、ハイジになるのはあきらめろってことぉ

それはあなたの選択です

ハイジになるのをあきらめて
不承不承に生き続けるのもあなたの選択。

もしかしたら
リッパな奴隷として生きることをキッパリ決断しちゃうかもしれない。

私としては
看守に
「とろっとろのチーズを食べたいので
ヤギ飼いたいっ
ユキちゃんって名づけて
頑張って飼いますのでどうかお許しをっ
って直訴するってのもアリやなぁ(シミジミ)

でもやっぱりハイジのように走り回りたいから
強制収容所から脱出する計画を立てて実行しちゃう?

だいたいそもそも強制収容所って仕組みが許せないってことで
仲間を集めて反撃ののろしをあげちゃう?(笑)

あなたはどんな人間になりたいのか?
あなたはあなた自身を選び取ることができる。

強制収容所だから自由がないのではない。

あなたの自由が(あなたが自由だから)
強制収容所に自由がなというあなたの「状況」をつくったのだ。

就職活動に悩める金女子よ
この「状況」からは逃れられない。
でもこの「状況」の中であなたは自由だ。
あなたの人生をあなたの決断で選び取れ

さて・・・
就職活動に悩める金女子も多かったのだが、
実は恋愛に悩める金女子も多かった。

彼氏と別れちゃって・・・
っていう金女子もいた。

サルトルは
人間関係の「状況」は
地獄だと言った。

何が地獄って、
あなたの自由が(彼氏の自由が)奪われるからだ。

あなたも彼氏も
こーなりたい、あーなりたい
こーだったらいいなぁ、あーだったらいいなぁ
と、
お互いの思い描く自分や二人のあり方を投げかける。

自分の「状況」と自分の自由(投げかけ)の間のギャップにも苦悩するのに、
相手の「状況」もからんでくるからうっとうしぃ

それでもあなたは一生懸命努力する。

でも、その懸命な努力が
あなたに自分を見失わせる。

あなたは彼氏のまなざしの中で生きようとする。
要するに、彼の「状況」にあわせて、
彼の求める彼女になろうとして生きようとする。
でも・・・それは自分を偽ることだ。

そしてあなたは、
同時に彼にもそれを求める。
私の「状況」の中で生きることを。

自由なもの同士の恋愛のはずが、
気づけば自分の生き方を拘束しあう。

恋愛とは古今東西面倒なものなのだ(byサルトル)

だがしかしっ
彼氏と別れてツライという「状況」の中でも
あなたは自由だ
あなたの未来をあなたの決断で選び取れ

金曜日の女子たち、
ほんとありがと~^^

出会えたことに感謝

みなさんのおかげで素敵な授業を経験できました。

またどこかでお会いいたしましょう

<追伸>
この「金曜日の女子たちへ」は
今日これで終了します。
今後は
「スペシャル」や
「特番」の形で登場します(笑)
金女子のみなさん、
何か考えてみたいことがあれば
いつでもお知らせ下さい。

これからも
金曜日の女子たちへの応援は続きます


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金女子17 「すべきこと」より目先のクリスマス~

金女子16 称賛に値するのと尊敬に値するのとはどっちが素晴らしい?のつづきを・・・

そして怒涛のフィナーレへ

前回までのあらすじ

「誰かのために私は〇〇する」という行為の背後に
自己満足と自己喪失が隠されているだけでなく、
目的であったはずの「誰か」ですら
私のための手段と化してしまう恐れも隠されていることを
知らされた金女子。
それでも純粋な「誰かのために生きる」が
あるのではないかと食い下がった金女子だったが、
「誰かのために私は〇〇する」という構造では
誰のためにもならないのだと
強くカントに指摘された。

更に、
「誰かのために私は〇〇する」という行為は
「した方がいい」という
よりよいものは何なのかという選択による行為であって、
自分の行為が自分の外の目的に支配されている奴隷状態であり、
それでも称賛に値する場合もあるかもしれないが
尊敬には値しない行為であることを
カントに指摘された。
称賛されればそれでいいじゃないか
と思った金女子だが、
それでも「尊敬に値する自由な私の行為って?」を
考え始めた。

以下、
カントVS金女子仮想対話のつづき

金女子「私がすべきことって何だろう・・・」

カント「・・・」

金女子「話は戻るけど・・・
友人を救うためにウソをつくことって、
カントさんがどう言おうと
私のやるべきことの一つだと思うんですよね」

カント「ウソはつくべきだと言うのですね」

金女子「いや・・・
友人を救うためにはっ
ってとこが大切なの

カント「ウソをつくかどうかは大切なことではない?」

金女子「友人を救うって事に関してはね」

カント「友人を救うべきか、
ウソはつくべきでないかを比べたら、
友人を救うべき方がよりよい選択だということか?」

金女子「まぁ、そういうことです

カント「「すべきこと」とは
比較してどっちがよりすべきかというものではない」

金女子「えっ?」

カント「何度も言うが、
「すべきこと」は「すべきこと」であって、
「した方がいいこと」では決してない」

金女子「うううぅぅ

カント「友人は救った方がいいかもしれないが、
ウソはつくべきでなないのだ」

金女子「ううううぅぅぅ

カント「あなたの人生や
あなたの人間関係において
最も重要なことは・・・」

金女子「お~っと、ついにっ
それを聞きたかったのよっ
重要なことは~(≧▽≦)」

カント「誠実さ

金女子「誠実さ・・・
だったら友人を救うって素晴らしい誠実さじゃん」

カント「その場合に何に対して誠実なのか?」

金女子「友情っ

カント「あなたが、
友情からの行為を正しい行為だと思い、
そしてその行為がはたから見て
どんなに感じのいいものであっても、
それは
「称賛と奨励に値するが、尊敬には値しない」のだ」
↑↑
『人倫の形而上学の基礎づけ』


金女子「まただよ
称賛に値するが尊敬に値しない・・・」

カント「友人のために何かしたいと思い、
何かして満足することを否定するものではない。
それが自分のためであったとしても否定はしない。
ただ、
善いことをしたと思って喜ぶことと、
それ自体で善いことというのは区別されるのだ」

金女子「それ自体で善いこと?」

カント「それが「すべきこと」だ。
そして、
その「すべきこと」に誠実であれ

金女子「「すべきこと」に誠実であれ・・・」

カント「あなたは、
クリスマスに
彼氏いない友達同士で
おしゃれなお店で女子会をする約束をしていた。
彼氏いないもの同士、
めっちゃ楽しもうね~なんて約束をしていた。

クリスマス前日に
以前から大好きだった男子から
「君と一緒にクリスマスを過ごしたい」
と言われたあなたは・・・」

金女子「それ、やばい≧▽≦」

カント「あなたはどうするのか?」

金女子「ウソはつかないよっ
正直に話して
女子会キャンセルする(笑)
多分友達も喜んでくれるしっ」

カント「あなたはウソをついた」

金女子「えっ?」

カント「あなたは友達との約束を守らなかった。
ウソをついたことになる」

金女子「ええっっ^^;」

カント「偽りの約束、
これはまさに「ウソ」だっ」

金女子「だって、約束した時点では
大好きな人から告白されるなんて思ってないじゃん。
だから約束した時点ではウソじゃなかったよ」

カント「「すべきこと」は欲求や損得に左右されるものではないので、
時と場合によって変るなんてことはない。
だから、
女子会をキャンセルすべきではない。

注:金女子16 称賛に値するのと尊敬に値するのとはどっちが素晴らしい?を参照下さい。

しかし、あなたは、
自分の損得を友達との約束より優先させた」

金女子「・・・」

金女子「でも・・・大好きな人が
クリスマスに一緒に過ごしたいって
言ってくれたのよ

カント「だから?」

金女子「私にとってチャンスじゃん(爆)」

カント「友情に誠実になるって言ってたあなたは
どこへ行った?」

金女子「あっ・・・
友達なんだから私のチャンスを喜んでくれると思うっ

カント「「友達なんだから」かぁ・・・
この世でどれだけの人間が
友情や親子愛の名の下で
誰かの道具になっていることだろうか

金女子「それにそれにっ断ったら
彼から嫌われちゃうかもしれないしぃ」

カント「「すべきこと」は
行為の結果に左右されない。
しかし、あなたは、
「友達は喜んでくれるだろう」とか、
「彼の申し出を断ったら・・・」とか・・・
行為の結果を考えている。

何度も言っているように、
行為の結果は必然ではなく偶然である。
友達は喜んでくれないかもしれないし、
彼は別の日に会ってくれるかもしれない」

金女子「・・・ふむ」

カント「それに・・・
あなたが友達との約束があることを告げたにもかかわらず
どうしてもクリスマスじゃないとダメだなんて言う男子は、
あなたと同様、
自分の損得であなたを支配しようとしている」

金女子「私と同様って

カント「あなたは、
男子と会うために友達との約束をキャンセルする。
「〇〇のために~する」という構造は
もうすでに見てきた。
あなたは、
あなたが男子と会いたいという欲求のために
自分の友達をコントロールしている。
あなたが会いたがっている男子も、
この日じゃないとダメと言う場合、
あなたと会いたいという自分の欲求のために
あなたをコントロールしているのだ。

支配し、コントロールするということは・・・
あなたも男子も
相手を手段や道具として扱っているということであり、
つまり、
あなたも男子も、
相手を「尊敬に値するもの」
「自由なもの」
「ビリヤードの球じゃないもの」として扱っていないということだ」

金女子「・・・」

カント「このことに無関心ではいけない
世の中・・・
友情とか愛情とか、
親子愛とか人類愛の名の下で、
どれだけの人間が
手段や道具として扱われ、
コントロールされていることかっ」

金女子「相手であれ、自分であれ・・・
手段や道具として扱ってはならない」

カント「そうだ」

金女子「自分や相手を道具として手段として扱っていないか、
自分の欲求や損得を優先させていないか・・・」

カント「ん?」

金女子「そこから見えてくるのが、
私の「すべきこと」?」

カント「そうだっ
その「すべきこと」があなたなのだ。
その時あなたは
尊敬に値する生を生きることになる。
なぜなら、
あなた自身が自らの道具になることなく、
あなた自身の損得から解き放たれて
自由になるからだ。
あなたが思う「すべきこと」が
果たして本当に「すべきこと」なのか吟味せよ」

金女子「じゃぁ・・・
彼には女子会があることを伝えて、
別の日に会えないか言う
で、日にちを調整して・・・
でもっ!!
日にちが合わなかったらどうしよ~

カント「誰だって自分の都合がある。
しかし、本来、
相手の自由より自分の損得の方が優先されるってことはあってはならない。
逆に、自分の自由より相手の損得の方が優先されるってことはあってはならない。

私もあなたも、
誰もが自由であり、
それゆえ尊敬に値する。

もしあなたが自分の自由を捨て去る場合、
相手の都合・損得に合わせる場合、
それがいくらよりよい選択だったとしても、
それは称賛に値するかもしれないが、
尊敬には値しない。

その後、
「自分ばっかり相手に合わせてるっ」と
相手に不満をぶつけても無駄だ。
そういう関係をあなたが望んだのだ。
奴隷になるのはあなたの選択だったはずだ。」

金女子「じゃぁ・・・
友人を救うためにウソをつくってのは・・・
えっと・・・
ん?
そもそも何でウソついちゃいけなかったんだっけ?」

カント「ウソをつく行為は、
自分の損得を優先させる行為であり、
ウソをつくことによって
相手を尊敬に値する自由な存在としてではなく、
自分の損得のための手段や道具として扱うことになるからっ」

金女子「そかそか^^;
で、だから、
ん・・・でもやっぱ
ウソついちゃうかも

カント「あなたは「した方がいいこと」を選択したのであり、
その選択はあなたの選択だ。
もちろんその選択は
損得・自己満足・他人からの称賛などの
さまざまな条件によって縛られた
自由のないものではあるが、
それでもあなたの選択だ。
しかし、
忘れてはならないのは、
それは「すべきではなかったこと」だった
ということだ。

あなたは「した方がいいこと」をしたのであって、
「すべきこと」をしたのではない。
それは「正しいこと」でも「善いこと」でもなく、
「した方がいいこと」なのだ」

金女子「友人を救うべきではなく、
救った方がいいという
私の選択・・・」

カント「友人を救いたい、
その思いを否定はしない。
私も友人を救うためにとウソをつくかもしれない。
でも、
善いことをしたわけでもなく、
正しいことをしたわけでもないのだ。

困っている人のために募金して
私は善いことをしたと満足する。
よくある光景だ。
困っている人のために募金することを
否定はしない。
私も募金するだろう。
でも、善いことをしたのではない。
それが本当に善いことならば、
あらゆる募金に無条件に参加するべきだろう」

金女子「無条件に・・・」

カント「再び
マザー・テレサに話は戻る」

注:金女子14 何かするのに理由がいるのか?を参照下さい。

金女子「ハァー

カント「「すべきこと」に誠実になるとは、
ある意味強い意志を必要とする。
その自分の「すべきこと」を貫く
強い意志だ」

金女子「それが無理っ」

カント「自由に生きるとは、
好き勝手にスキップしながら生きることを意味しない。
「すべきこと」に誠実に生きることを意味し、
意志の強さが試される」

金女子「自由の考えが、
カントさんと私とでは違うのね」

カント「自由とは
あなたが他人や自分の奴隷になっていないということだ。
私たちは人間であって奴隷ではない。

子どものために、
親のために、
あなたのために、
国家のために、
自分のために・・・

幼児虐待や高齢者虐待の問題、
自殺の問題、
安楽死や尊厳死の問題、
雇用の問題、
人間関係の問題、
国家間の問題・・・

あなたが意識しようがしまいが
どれもこれもあなたに関係している問題だ。

そして、
どれも「人間の尊厳」、
すなわち
「自由に生きること」と関わっている。
今こそ考えるのだっ」

金女子「ふむ・・・
まぁ、とりあえず
目先のクリスマスやな(爆)
サンタ追跡しよ~っと

ー完ー

長かった・・・
絶対にやめられない戦いが
そこにはあった(爆)


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金女子16 称賛に値するのと尊敬に値するのとはどっちが素晴らしい?

金女子15 すべきことをするのつづきを・・・

前回までのあらすじ

「誰かのために私は〇〇する」という行為の背後に
自己満足と自己喪失が隠されているだけでなく、
目的であったはずの「誰か」ですら
私のための手段と化してしまう恐れも隠されていることを
知らされた金女子。
それでも純粋な「誰かのために生きる」が
あるのではないかと食い下がった金女子だったが、
「誰かのために私は〇〇する」という構造では
誰のためにもならないのだと
強くカントに指摘され、
しぶしぶ「じゃぁ、私のすべきことは何なのか?」を
考え始めた。

以下、
カントVS金女子仮想対話のつづき

金女子「・・・っていうか、
だいたいさぁ
すべきことって一つなの?
状況や場合によって
すべきことって変わるような気がするんだけど?」

カント「あなたはそもそも
「すべきこと」と「した方がいいこと」を
混同しているようだ」

金女子「え?」

カント「自分の行為の結果を考えて、
状況や場合によって自分の行為を選択する。
それは「した方がいいこと」だ」

金女子「ん・・・
っていうか、たいがいの行為がそうじゃん?」

カント「私たちは日常生活の中で
いろんな選択をし、判断を下している。
朝風呂にすべきか夜風呂にすべきかとか・・・
ウソをつくべきかウソはつかないべきかとか・・・

朝風呂か夜風呂かは
行為の結果を考えた選択であり、
状況や場面によって「朝風呂にした方がいい」こともあれば
「夜風呂にした方がいい」こともある。

しかし、
ウソをつくべきか、つくべきでないかは
そういった選択とは全く異なる」

金女子「だからぁ
そこんところが
イマイチ分かんないのよね^^;」

カント「・・・
あなたは朝風呂派か?」

金女子「えっ?
・・・朝風呂派です

カント「朝風呂にする目的・理由は何か?」

金女子「朝入った方が目覚めるから」

カント「目覚める目的・理由は何か?」

金女子「朝ちゃんと目覚めないと
授業に身が入らない(笑)」

カント「授業に身を入れる目的・理由は何か?」

金女子「単位取らなきゃならないから」

カント「単位を取る目的・理由は何か?」

金女子「・・・卒業しなきゃならないから」

カント「卒業する目的・理由は何か?」

金女子「いいところに就職して、
いいお給料もらって、
有給とって海外旅行行って・・・」

カント「自分の欲求や欲望をみたすため。
要は、自分の利益のため」

金女子「それが悪いの?」

カント「あなたの行為は
あなたの欲求や欲望を満たす手段・道具となる」

金女子「でも、自分の行為が
自分の欲求を満たす手段となって
なんで悪いの?」

カント「あなたが
欲求や欲望の奴隷になることに同意することは、
あなたが
人間であることを放棄することと同一である」

金女子「ええええっ
なんか・・・
話がだんだん大げさになってますけど

カント「あなたの人生はあなたが創り出す物語りだ。
それはあなたそのものであり、
それ自身として素晴らしく、
輝く宝石のようなものだ」

金女子「私の人生・・・
私そのもの・・・
素晴らしく・・・
輝く宝石」

カント「素晴らしいあなたの人生は
目的そのものであって、
決して他の誰かの人生の単なる道具などではない

金女子「「私」は目的そのもの・・・
でも、私が私の道具になるのはいいんじゃないの?」

カント「あなたは、
自分が自分の欲望や欲求を満たす道具にってもいいと言うが、
しかし、あなたの欲望や欲求は
あなた自身だろうか?
有給とって海外旅行に行きたいという目的は
あなた自身だろうか?」

金女子「私自身だと思ってますが何か?」

カント「自分自身が目的になっているのか
自分の外に目的があるのかよく考えなければならない。
あなたが自分の欲求や欲望だと思っているものは
多くが自分の外からやって来ている。
マスコミによって作られたものや、
世間によって作られたもの、
教育やしつけの名の下に形成されたもの。
あなたは、
あたかもそれが自分自身だと錯覚している」

金女子「さ、錯覚してるってどうやって分かるの?

カント「あなたの発言は、
常に自分の外に目的を置いているではないかっ」

金女子「え?」

カント「なぜ?何のために?
目的は?理由は?と問えば、
「~だから」「~のため」と答えているではないか」

金女子「・・・

カント「「○○のために~する」という構造は、
自分の外に目的をもつということだ。
あなたが、
自分の外の目的のための手段・道具となっているということだ。
誰かのためだろうが、
自分の欲求や欲望のためだろうが、
しかもそのことをあなた自身が同意していようが
あなたは自分の外にある目的の奴隷となっているのだ。
そこに自由はない
自分では自由だと思っていても
奴隷なのだ。

しかし、本来、
あなたはあなたの素晴らしい人生の物語を
あなた自身でつむぐ主人であるはずだ。
あなたは自由であるはずだ。

あなたがあなた自身で自分の人生をつむぐことを
放棄したら、
それは自由のない奴隷の生き方であり、
そこに人間の尊厳なんかない」
↑↑
注:これがいわゆる「人権」ってヤツ。

金女子「やっぱ大げさななんですけど・・・」

カント「よくビリヤードの球と対比される。
ビリヤードの球は行為の結果を考えて突かれる。
目的は球の外にあるのだ。

あなたという球が
番号順に目的に当たって
目的をポケットに落としていく。
最終的に9番のボールという目的を落として
勝利したとしても、
それはすっご~いって称賛されるかもしれないけど、
尊厳のある生ではない

あなたが「友人を救うためにウソをつく」場合、
あなたという球が友人を救うという目的に当たったとして、
それは褒められ、
場合によっては
「した方がよい」とすすめられる行為かもしれない。
しかし、尊敬に値する行為ではない。

なぜならばビリヤードの球には
自由がないからだ」

金女子「称賛に値するが尊敬には値しない・・・」

カント「尊敬に値する尊厳のある生とは、
自由に生きるということだ。
自由に選択するということだ。

しかしそれは行為の結果を考えて選択することではない。
そもそも行為と行為の結果の間には因果関係はない。
↑↑
金女子13 誰かのために生きるということを参照ください。

損得を考え、快不快を考えて選択することでもない。
損得や快不快は状況や場合によって変わるものであり、
自分の外にある目的である。

自由に行為するとは、
自分の外にある目的を達成するために
「した方がいい」ことを選択することではないのだ」

金女子「じゃあ、「した方がいい」ことを
選択しちゃいけないの?」

カント「「~しちゃいけないの?」「~したらダメなの?」
っていう言い方を
あなたはよく使うが・・・」

金女子「えっ?ダメなの(爆)?」

カント「選択はあなた自身がするのだ」

金女子「私が?」

カント「あなたは自由だ」

金女子「でも、「〇〇のために~する」っていう選択は
しちゃダメなんでしょ?」

カント「「〇〇のために~する」という構造は
本来目的そのものの存在を手段にしてしまう。
本来自由である存在を奴隷にしてしまう。
場合によっては称賛されることかもしれないが、
尊敬には値しない」

金女子「だから・・・
しちゃダメ?」

カント「するかしないかはあなたが決めることだ」

金女子「私が決めること」

カント「行為の結果を考えて選択せよという
功利主義者J.S.ミルですら
「その人の人間としての価値は・・・」
を考え、
「本当に重要なのは、人が何をするかだけではない。
それをする人がどんな人間であるかも重要なのだ」と指摘している。」


金女子「私がどんな人間か・・・」

カント「あなたは生きてる間
様々な選択をする。
その選択には
あなたがどんな人間かが隠されているのだ」

金女子「私は・・・
でも・・・
やっぱ褒められたいかなっ(≧▽≦;)

いや~^^;
なんかちょっと分かってきたような気がする

でもやっぱ自分の「すべきこと」が何なのかは
分かんない
「した方がいいこと」とは違うわけでしょ?
で、奴隷になってなくて
尊敬に値するんすよね?

私がすべきことって何だろう・・・」

申し訳ありませんが・・・
つづく(爆)


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金女子15 すべきことをする

金女子14 何かするのに理由がいるのか?のつづきを・・・

前回までのあらすじ

「誰かのために私は〇〇する」という行為の背後に
自己満足と自己喪失が隠されているだけでなく、
目的であったはずの「誰か」ですら
私のための手段と化してしまう恐れを
カントに指摘された金女子は、
それでも純粋な「誰かのために生きる」が
あるのではないかと食い下がる。

以下、
カントVS金女子仮想対話のつづき

金女子「純粋に誰かのためにって生き方
あると思うのよねっ
私はあると信じたいっ

カント「親が子どものためにと
暴力を振るう」

金女子「それは子どものためじゃないっ
子どものためって言いながら
自分勝手な親だよ」

カント「親が
純粋に子どものためと思い
暴力を振るう行為は認められないのか?」

金女子「暴力は純粋に子どもためなんかじゃないよ
子どものためっていうことで
暴力が正当化されてるっ

カント「あなたは忘れたのか?
以前こういう話をした。

>カント「目的のためなら
>あらゆる手段が可能だというのか?」
>
>金女子「・・・友人が救われるんだったら
>いろんな手を尽くすってアリなんじゃない」
注:金女子13 誰かのために生きるということを参照ください。

覚えているのだろうか?」

金女子「あっ・・・思い出した
でも、でもっ
要は、
何がほんとに子供のためかっことでしょっ」

カント「では、
何が本当に子供のためなのか?」

金女子「それは・・・
それは
一言では言えませんっ
だって、子どもの一人ひとりで
何がその子のためかが違うもんっ」

カント「子ども一人ひとりに応じて
親の行為が変わるというのか?」

金女子「そりゃそうでしょ~」

カント「子ども一人ひとりの
「その子のため」は
どうやって知るのか?」

金女子「ん?
それは・・・
子どもをよく観察して・・・
その子に何が必要かを見つけて知る」

カント「その子の必要を知って
親はどうするのか?」

金女子「その子の必要に応じた・・・
行為をする・・・ハッ
でもっ
子どものためなんだから
親は子どもの手段や道具になってもいいじゃんっ」

カント「子どもの必要が、
必然からくる必要か気まぐれからくる必要かは
どうやって知ることができるのか?」

金女子「っていうかマジうっとうしくなってきたっ
それは・・・
それは親だったら分かるんじゃないの?」

カント「親が
子どもの必要を見極めるのか?」

金女子「それ以外にどんな方法があるのよっ」

カント「その子の必要を見極めるとき、
親の思い込みや、偏見、期待、気分や気まぐれを
どうやって排除するのか?」

金女子「・・・人間だもの(相田みつお風)
排除は無理よ。
でも、
親なんだから期待したりするし・・・
それはそれで・・・アリかと・・・」

カント「親が自分の期待を充たすために
子どもを利用するってことがあるということだろうか?」

金女子「そういう言い方は・・・」

カント「親が子どものために何かするという構造では、
親は子どもの必要に応じて道具となり、
子どもは親のエゴを満たす道具となるのだ」

金女子「じゃぁ・・・
親が子どものために生きるってのは
やっぱダメなことなの(グッタリ)?」

カント「だから・・・
何度も言っているような気もするが・・・
誰かのために生きるという構造では
誰のためにもならないということだ」

金女子「じゃぁ
いったいどうすればいいってのよぉ

カント「あなたのするべきことをするのだ」

金女子「私のするべきことって何なのよぉ(激白っ)」

カント「・・・あなたは
本当に自分のすべきことが分からないのか?」

金女子「・・・」

カント「あなたは自分が何者かが分からない。
これがまさに“誰かのために~する”という連鎖の中に生きる
人間の姿だ。
こんなところで見られるなんて」

金女子「ふんっ
・・・っていうか、
だいたいさぁ
すべきことって一つなの?
状況や場合によって
すべきことって変わるような気がするんだけど?」

つづく・・・

ええっ
まだ続くの~
↑↑
自分で思ってた以上に長編になっとる


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